おひとりさまのクリスマスと1970年代のクリスマスの思い出

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夕方、買い物に出かけたら、あまりの人の多さに圧倒されてしまった。

ローストチキン売り場の人だかりから、今日がクリスマスイブだということに遅まきながら気がついた。

 

クリスマスイブとはいえ、いつもの通り夕食は500円以内の癖が身についているので、

半額になったおにぎりと里芋の煮付け、ぬか漬けを購入して、あとは、昨日の残りのおかずで晩ごはんを済ます予定。

 

帰り際、ケーキ売り場に足が止まり、自分用の小さなケーキでも購入しようとしたが、500円もするのであえなく断念する。

代わりにパン屋さんで200円ほどの一切れのシュートレインを購入した。

 

自宅に戻ると、友達からメールが来ていた。

お孫さん用に可愛い文房具をプレゼントしたいので、近所の大型文房具店をネットで調べて欲しいと頼まれたので、検索する。

 

子供用の文房具も種類が沢山ある。

特に女の子用は大人でも持ちたいくらい、可愛い。

結局、彼女の近くの伊東屋とか、ロフトとか、インクを教えて上げた。

目を細めてお孫さんのために文房具を選ぶ彼女の姿が目に浮かぶ。

 

 

クリスマスプレゼントをもらっていたのは、幾つくらいまでだろうと、ふと、思う。

小学校5.6年生くらいまでかな。

 

お人形遊びが好きだったので、リカちゃんハウスとかをプレゼントしてもらった記憶がある。

父が会社の割引を使い、毎年クリスマスになるとおもちゃを買ってきてくれていたはずだ。

 

母は確か、クリスマスケーキの担当だった。

毎年近所のケーキ屋さんで、小さめの丸いケーキを買ってきてくれた。

 

ケーキはクリスマスの前に買わないとすぐ売り切れてしまうので、数日前から

用意してあるのだが、子供だった私は、クリスマスまで、待ちきれなくて、

そっと箱を開けて、クリームの部分だけ、舐めたりしていた。

 

クリスマスツリーはテーブルの上に飾る30センチくらいの高さの細身のツリーだった。

キラキラした飾りをつけて、赤・青・黃・緑の電飾ライトをぐるぐる巻いて完成だ。

 

子供合唱団の歌うクリスマスソングを卓上レコードプレーヤ^―が奏でる中、三人家族のささやかなクリスマスが始まる。

 

クリスマスケーキにろうそくを灯して、「メリークリスマス」といってケーキを食べる。

ケーキについているチョコレートの飾りや砂糖菓子のサンタは、私が独り占め。

 

あの頃はエアコンなんてものは、もちろんなくて、我が家もこたつとストーブで暖をとっていた。今より、もっと寒かったような気がする。

 

木造の狭い借家で家族3人が心を一つに寄せて、クリスマスを祝う。

今となっては懐かしい思い出だ。

 

東京にはまだ都電が通っていて、渋谷の東急前には傷痍軍人の方が何人か座っていた。

もの悲しいアコーディオンの調べが今だに心に残っている。

 

小学校6年生の頃だと思う。

仲良しの和子ちゃんと二人だけで、クリスマスのお祝いをした。

 

母は数日前から張り切って、クリスマス用に折り紙で丸い輪を一緒に作ってくれた。

当日はローストチキンにケーキ、ジュース、ハーシーのチョコレート、様々のお菓子などを買い揃えてくれた。

 

クリスマスツリーの他にキャンドルホルダーも用意されていた。

キャンドルホルダーは、真ん中にろうそくを立てて火をつけると周りについている天使やベルの飾りがクルクル回ってきれいだった。

 

ちょうど二人で揚げ煎餅を食べていた時のことだ、何気なくろうそくの火にかじりかけの揚げ煎餅をかざしてみたら、ジュと焦げて美味しかった。

 

味をしめた私と和子ちゃんはおもしろがって繰り返していたら、突然ろうそくの炎が大きくなって、何かの拍子にローソクが倒れて床に火がついた。

 

びっくりした私たちは悲鳴をあげたところ、すぐ母が飛んできて、消化してくれた。

火事にはならなくて済んだのだが、おろしたてのじゅうたんが焦げて丸い穴が開いてしまった。

 

母にはこっぴどく叱られるわ、和子ちゃんはしょげかえるわで、散々のクリスマスになってしまった。

 

これ以来、母はことある毎に「火事になるところだった。」と誰かれ構わず言うように

なってしまい。子供心に嫌だな~。とずっと思っていた。

 

それから、クリスマスを祝うことは辞めたような気がする。

 

人一倍心配症で、一人娘の私を過保護に育てた母には、クリスマスのボヤ騒ぎは、相当な出来事だったのだろう、その上、自分が機転をきかせて火事を食い止めたことが自慢だったのかもしれない。

 

だから、誰かれ構わず、言わずにはいられなかったのだろう。

大人になった今は、そう思う。

 

口うるさくて心配症だった母は、私の成人を見届けるとすぐに、あの世へと急いで

旅立っていってしまい、私はというと、もうとっくに母の年を超えてしまった。

 

 

父は晩年、認知症になり、最後は私のこともわからなくなってしまった。

 

ある日、父の喜ぶ顔満たさに、180センチのクリスマスツリーを買い、白色のLEDライト、オーナメント一式をホームセンターで揃えて半日がかりで飾り付けをした

 

出来上がったツリーは古い木造家屋には不似合いな程、バカでかく美しかった。

 

父は「綺麗だ。綺麗だ。」と喜び、夜中トイレに起きる度に、わざわざ離れた部屋にあるツリーを眺めてはニコニコしていた。

 

そんな父も、もうこの世にはいない。

今頃、あの口うるさい母に小言を言われているのだろうか。 

 

おひとりさまになってからは、クリスマスと聞くと、もはや蚊帳の外という感じでいるが、時折、クリスマスの雑踏の中で見かける親子連れの背中から、クリスマスのワクワク感と喜びが伝わってきて、こちらまでほっこりしてしまう。

 

それが私のクリスマス。